ジョージアの伝説的な映画作家が27年ぶりに新作『金の糸』を制作。その想いを語る
『金の糸』 (C)3003 film production, 2019
ジョージアの伝説的な映画作家ラナ・ゴゴベリゼの27年ぶりの新作映画『金の糸』が明日26日(土)から公開になる。本作はジョージアの激動の時代を生き抜いた女性を主人公に、彼女の過去と現在の和解を描き出す感動作で、文学や絵画では描くことのできない“映画だからできる表現”を堪能できる作品だ。公開を前に、ゴゴベリゼ監督にじっくりと話を聞いた。【全ての画像】『金の糸』ラナ・ゴゴベリゼ監督はジョージアを代表する映画監督のひとりで、政治家の父と映画監督の母の間に1928年に生まれた。当時のジョージアはソ連の構成国のひとつで、彼女の幼少期に父はスターリンの大粛清によって処刑され、母は収容所に入れられ、彼女は母とはなればなれになってしまった。やがて母と同じく映画作家になったラナは、1961年に初の長編映画を手がけ、1978年の『インタビュアー』でサンレモ映画祭のグランプリを受賞。その後、国会議員、ジョージアの欧州議会大使、駐仏ジョージア大使なども務めてきた才人だ。そんな彼女が27年ぶりに手がける映画『金の糸』は、ジョージアの首都トリビシで暮らす79歳の作家エレネが主人公だ。彼女は杖を使わないと歩行できない状態にあるが、生家で娘夫婦やひ孫と暮らしながら執筆を続けている。そんなある日、彼女の家に娘の姑ミランダが引っ越してくることになった。ミランダはアルツハイマーの症状が出始めており助けと必要としているが、エレネはソビエト時代に政府の高官だったミランダと共に暮らすことを快く思っていない。さらに60年前の恋人アルチルから電話があり、エレネは否応なしに自身の過去を振り返ることになる。「感情や思考など人間の内面の世界に興味がある」と語るゴゴベリゼ監督は、目に見えるものをカメラで写し出すことで“目に見えないもの”を描くことを目指した。「この映画では人間の実際の動きはそれほど多くはありません。物語の舞台は主人公の暮らす住宅に終始していますし、エレネは杖をついてやっと動ける状態で、動きにとぼしいとも言えるでしょう。だからこそ私は登場人物が動かない中で、人間の思考や感情をどうやって描くのかを絶えず意識していました」監督はそう語るが、完成した映画は観客が息つく暇もないほど躍動感に満ち、画面に次々と新たな要素が現れ、観客は新たな発見をすることになるだろう。これといった特徴のない部屋のはずなのにカメラが少し移動することで新たな空間が出現し、エレネが杖を使ってゆっくりと移動する間に彼女の感情の動きや思考が垣間見える。本作は最後の最後まで映画的な刺激に満ちているのだ。「どういう映像をつくるかは細かく気を使いました。かつてジャン・リュック・ゴダールは“映画はカメラをどの位置に置くのか?という芸術だ”と言っていましたが、私もその通りだと思います。劇中に窓やバルコニーが何度も登場しますが、それはエレネのいる世界と外の世界をつなげるものです。自由に外に出ることができない彼女が窓から外を覗くと、中庭では若い男女がケンカしながらも愛し合っている。ひとりの人間の内面の世界と外の世界のつながりをどのように描くのか、そのためにどこにカメラを置くのか? そこは非常に気をつかいました」エレネは部屋の窓から外の世界を眺め、電話で昔の恋人と会話し、ひ孫に外の通りの絵を描くように頼む。様々な哀しみを体験したソビエト時代、忘れてしまった過去、久々の電話をきっかけに思い出す過去の出来事、そして現在。“過去”とひとことでいうのは簡単だが、この映画では様々な時間がひとつの物語の中で並行して描かれ、それらは時に交わり、時に交差していく。「この映画の中には、人類や民族の過去、つまり大きな歴史もあれば、個人的な過去も描かれています。様々な過去=時間が蓄積されて、ひとりの人間の現在や未来を形作っているのです。映画のタイトルにもなっている“金の糸”は“金継ぎ”と呼ばれる日本の技法からきています。金継ぎは忘れられてしまった古い昔の器を、金を使って復元する技術のことです。この映画では、人間が過去を振り返った時に、古い人間関係や壊れてしまった過去を金の糸、つまり愛や思いやりをもってつなぎ、過去を美しいものへと修復していくことがテーマになりました」
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